しろがね つばさ
白銀の翼
生きながらの怨霊。
再度、庭に置かれたレプリカの前に立ってみて、高耶は西村の父親のことについてそう思った。
何かにとり憑かれたような執着が、彼の残した本から感じ取れる。
それは戦争そのものに対する想いだったのだろうか。死んでいった友人達へのものだったのだろうか。
「その本、供養してあげたほうがいいかもしれませんね」
「え?」
「少し、念が篭りすぎているようです」
だからか、と高耶は納得がいった。
「それって、何に対するものなのかわかるか?」
「さあ、そこまでは。晴家ならわかるのかもしれませんが」
けれど、と直江は静かに言葉を続ける。
「気持ちはわからないでもありません」
「このじーさんの?」
高耶が本を持ち上げてみせた。
「ええ。西村さんのお父さんにとっては、若い、いわば青春の時代に文字通り命をかけた出来事だったはずですから。人生を通してみたときに重要な出来事だったとしてもおかしくありません」
「…………」
青春真っ只中の高耶には、いまいちピンとこない。
「戦時中の話になると、体験者の人達は大抵、口がとても軽くなるか、とても重くなるかのどちらかであることが多いと思います。西村老人は前者のようでしたから」
「話したがらない人は何でなんだ?」
「………二度と思い出したくないような経験をしたということでしょうか」
そういわれて、高耶は気付く。そうか、直江は戦争を経験しているのだ。
「おまえにとっては、どっちだったんだ」
直江は一瞬だけ、眼を瞠った。
「私にとっては………どちらかといえば、後者ですね………」
「………そっか」
直江が言いよどむから、それ以上は聞かずにおいたのだが、言い訳のように直江が付け足してきた。
「当時、あの戦争にかかわらずにいられた日本人はいなかったと思いますよ」
「…………」
高耶は紺色の表紙の、銀色の題字に触れた。
「特攻って、敵に突っ込んでいくやつだろ。そんなんで、ほんとに勝てると死んだ奴らは信じてたのか」
「有効な作戦だと思っていた人間は、軍部に限って言えば案外少なかったのかもしれませんね。反対意見もあったようですし。中にはもう連合軍には勝てないと悟って、それでも特攻任務を遂行した人もいたようです」
「………え?なんで……」
「そうですね………。敗者の意地というか」
直江は少し苦しげな表情になった。
「自分の最期は、自分で決めたかったのかもしれません。勝者とは係わりのないところで」
意味が掴めないでいる高耶に、直江は更に言葉を続ける。
「戦争が終わってしまえば連合軍側にどう扱われるかという不安があったのかもしれません。そうでなくとも国のため、家族のために死んでいく行為を名誉だと考えている人々は多かったと思いますけど」
高耶は納得がいかなかった。
「………みんな自分のためだけに生きればよかったんだ。何かのために死ぬだなんて、そんなの」
「死=不幸とはみなされていなかったんですよ。まだ、自ら腹を切る人間すらいた時代ですから。潔いことが美徳とされた。たとえすり返られた大義名分でも、それを信じて死んでいけたのなら、きっと後悔はなかったでしょう」
「すり返られた大義名分?」
「誰もが人殺しを強要される世の中において、"国のため"や"人のため"は正当性のある立派な大義名分として受け入れられるということです」
「みんな心の底からそう思ってたわけじゃないって意味か?」
「………このことは、散々あなたともした話なんですが」
直江は少し硬い表情で口を開く。
「本来、人はそれぞれの夢や目標を持って生きていくはずです。けれど突然、他人を殺さなければ自分が死んでしまうという状況に放り出されてしまった。夢や目標などとはもう言っていられません。しかも、人の命を奪うという行為に、人は思う以上にストレスを感じます。正当性がなくては躊躇ってしまう。だから、生き延びるために大義名分に頼らざるを得なかった、と」
「軍が、国がそう仕向けたってことか」
「誰かのせいとは言い切れません。望む望まないにかかわらず、たくさんの人間が皆、"何か"のために一丸となって戦う。それが戦争です。後になって考えれば、回避も出来たかもしれない。命をかけるようなことではなかったと思うこともあるかもしれない。でも当時は、命をかけてこそ、でした」
「……………」
大義名分とか何とかはよくわからないが、自分を救ってくれる何かに頼ってしまいたくなる気持ちはよくわかる。例えそれが、正しいことかどうかわからなくても。
高耶は直江をみた。
軽く俯いたその表情は、相変わらず硬い。当時のことを思い返しているのだろうか。
高耶の中には、未だ警鐘が鳴り続けていた。
この男に甘えては駄目だ、この男だけは駄目だ、と頭の隅の方からいつも何者かが訴えてくる。
だけど。
教室を出た頃の暗い気持ちはもうすっかり消えていた。あの重苦しかった心がすっかり軽くなっている。直江はいつも、高耶の心を軽くしてくれる。そういうものにすがりつきたくなるのは当然じゃないか。
(もしかしたら)
高耶に絡んできた今朝のヤツらやあの暴言教師は、高耶を傷つけることによって苦しみが軽くなるような作用が心に働くのかもしれない。高耶を貶めたいと思う気持ちに抗えないのかもしれない。それが真実ならかなり迷惑な話だけれど。
哀れだな、と高耶は思った。
(オレなんかに拘ったって、何もならないのに)
きっと何の意味も持たない行為だ。今度会ったら、そう言ってやろう。もっと、有意義なことをしろ、と。
そんなことを考えていたら、直江がじっとこちらを見ていた。
その視線に気付いた高耶は、その場を繕うに言った。
「やっぱり殺し合いなんて無意味だって思う。どんな理由があったとしても。けどさ」
風にあおられた前髪がくすぐったくてかきあげる。
「《調伏》だって武力行使だろ。人のことなんて言えない」
「私達の相手は死者ですから。生きた人間ではありません」
「でも、解決方法としては一緒だ。紛れもない、チカラづくってやつだ」
「そうですね。………ならばせめて、自分たちの争いごと………《闇戦国》においてだけは、あれほどの犠牲者を出すのは避けたいですね」
「………ああ」
もう一度紺色の表紙を開こうとして何かの気配に気付いた高耶は、ハッと顔をあげた。
「直江」
機体の日の丸の脇に、見知らぬ老人の霊が立っている。
再度、庭に置かれたレプリカの前に立ってみて、高耶は西村の父親のことについてそう思った。
何かにとり憑かれたような執着が、彼の残した本から感じ取れる。
それは戦争そのものに対する想いだったのだろうか。死んでいった友人達へのものだったのだろうか。
「その本、供養してあげたほうがいいかもしれませんね」
「え?」
「少し、念が篭りすぎているようです」
だからか、と高耶は納得がいった。
「それって、何に対するものなのかわかるか?」
「さあ、そこまでは。晴家ならわかるのかもしれませんが」
けれど、と直江は静かに言葉を続ける。
「気持ちはわからないでもありません」
「このじーさんの?」
高耶が本を持ち上げてみせた。
「ええ。西村さんのお父さんにとっては、若い、いわば青春の時代に文字通り命をかけた出来事だったはずですから。人生を通してみたときに重要な出来事だったとしてもおかしくありません」
「…………」
青春真っ只中の高耶には、いまいちピンとこない。
「戦時中の話になると、体験者の人達は大抵、口がとても軽くなるか、とても重くなるかのどちらかであることが多いと思います。西村老人は前者のようでしたから」
「話したがらない人は何でなんだ?」
「………二度と思い出したくないような経験をしたということでしょうか」
そういわれて、高耶は気付く。そうか、直江は戦争を経験しているのだ。
「おまえにとっては、どっちだったんだ」
直江は一瞬だけ、眼を瞠った。
「私にとっては………どちらかといえば、後者ですね………」
「………そっか」
直江が言いよどむから、それ以上は聞かずにおいたのだが、言い訳のように直江が付け足してきた。
「当時、あの戦争にかかわらずにいられた日本人はいなかったと思いますよ」
「…………」
高耶は紺色の表紙の、銀色の題字に触れた。
「特攻って、敵に突っ込んでいくやつだろ。そんなんで、ほんとに勝てると死んだ奴らは信じてたのか」
「有効な作戦だと思っていた人間は、軍部に限って言えば案外少なかったのかもしれませんね。反対意見もあったようですし。中にはもう連合軍には勝てないと悟って、それでも特攻任務を遂行した人もいたようです」
「………え?なんで……」
「そうですね………。敗者の意地というか」
直江は少し苦しげな表情になった。
「自分の最期は、自分で決めたかったのかもしれません。勝者とは係わりのないところで」
意味が掴めないでいる高耶に、直江は更に言葉を続ける。
「戦争が終わってしまえば連合軍側にどう扱われるかという不安があったのかもしれません。そうでなくとも国のため、家族のために死んでいく行為を名誉だと考えている人々は多かったと思いますけど」
高耶は納得がいかなかった。
「………みんな自分のためだけに生きればよかったんだ。何かのために死ぬだなんて、そんなの」
「死=不幸とはみなされていなかったんですよ。まだ、自ら腹を切る人間すらいた時代ですから。潔いことが美徳とされた。たとえすり返られた大義名分でも、それを信じて死んでいけたのなら、きっと後悔はなかったでしょう」
「すり返られた大義名分?」
「誰もが人殺しを強要される世の中において、"国のため"や"人のため"は正当性のある立派な大義名分として受け入れられるということです」
「みんな心の底からそう思ってたわけじゃないって意味か?」
「………このことは、散々あなたともした話なんですが」
直江は少し硬い表情で口を開く。
「本来、人はそれぞれの夢や目標を持って生きていくはずです。けれど突然、他人を殺さなければ自分が死んでしまうという状況に放り出されてしまった。夢や目標などとはもう言っていられません。しかも、人の命を奪うという行為に、人は思う以上にストレスを感じます。正当性がなくては躊躇ってしまう。だから、生き延びるために大義名分に頼らざるを得なかった、と」
「軍が、国がそう仕向けたってことか」
「誰かのせいとは言い切れません。望む望まないにかかわらず、たくさんの人間が皆、"何か"のために一丸となって戦う。それが戦争です。後になって考えれば、回避も出来たかもしれない。命をかけるようなことではなかったと思うこともあるかもしれない。でも当時は、命をかけてこそ、でした」
「……………」
大義名分とか何とかはよくわからないが、自分を救ってくれる何かに頼ってしまいたくなる気持ちはよくわかる。例えそれが、正しいことかどうかわからなくても。
高耶は直江をみた。
軽く俯いたその表情は、相変わらず硬い。当時のことを思い返しているのだろうか。
高耶の中には、未だ警鐘が鳴り続けていた。
この男に甘えては駄目だ、この男だけは駄目だ、と頭の隅の方からいつも何者かが訴えてくる。
だけど。
教室を出た頃の暗い気持ちはもうすっかり消えていた。あの重苦しかった心がすっかり軽くなっている。直江はいつも、高耶の心を軽くしてくれる。そういうものにすがりつきたくなるのは当然じゃないか。
(もしかしたら)
高耶に絡んできた今朝のヤツらやあの暴言教師は、高耶を傷つけることによって苦しみが軽くなるような作用が心に働くのかもしれない。高耶を貶めたいと思う気持ちに抗えないのかもしれない。それが真実ならかなり迷惑な話だけれど。
哀れだな、と高耶は思った。
(オレなんかに拘ったって、何もならないのに)
きっと何の意味も持たない行為だ。今度会ったら、そう言ってやろう。もっと、有意義なことをしろ、と。
そんなことを考えていたら、直江がじっとこちらを見ていた。
その視線に気付いた高耶は、その場を繕うに言った。
「やっぱり殺し合いなんて無意味だって思う。どんな理由があったとしても。けどさ」
風にあおられた前髪がくすぐったくてかきあげる。
「《調伏》だって武力行使だろ。人のことなんて言えない」
「私達の相手は死者ですから。生きた人間ではありません」
「でも、解決方法としては一緒だ。紛れもない、チカラづくってやつだ」
「そうですね。………ならばせめて、自分たちの争いごと………《闇戦国》においてだけは、あれほどの犠牲者を出すのは避けたいですね」
「………ああ」
もう一度紺色の表紙を開こうとして何かの気配に気付いた高耶は、ハッと顔をあげた。
「直江」
機体の日の丸の脇に、見知らぬ老人の霊が立っている。
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しろがね つばさ
白銀の翼