しろがね つばさ
白銀の翼
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
あのときの自分は
未来の可能性を信じていた
希望を抱いていた
この苦しい坂を越えれば
そこにあるのは勝利なのだと
思わずには生きられなかった
きちんと追求すれば揺らいでしまうような根拠をかさに
穴だらけの勝因に縋り
その粗から眼をそむけ
見て見ぬ振りし
勝負を挑んだ相手のことすらよく理解せずに
ただ自分を守ることだけで精一杯だった
あのときが
遠い過去となった今
誰かがあのときの自分をわらうだろうか
わらわれるとしても
あのとき自分は確かに
強い心でただひたすらに
その道が正しいのだと信じていた
その道を信じることに
生きる術を見出していた
PR
11月も半ばを過ぎ、朝晩はめっきり冷え込むことの多くなった長野県松本市では、昨夜遅くにとうとう初雪が観測された。
日付だけで言えば例年通りなのだが、近隣の地域に比べ積雪量の少ない松本にはめずらしく、朝方まで降り続けた雪が十数センチ降り積もり、朝の日差しのせいで登校路は最悪の状況になっていた。
「ぎゃあ~コケるうう~!!」
「ちょっとぉ、サイアクぅ!!」
雪が溶けたものと溶けきらないものとさらに轍の泥まで混ざって、異様に滑りやすくなっている。
もちろん、凍りついてしまうよりは随分マシだが。
「なりたく~うん!」
森野沙織の大きな声が聞こえてきて、譲は背後を振り返った。
「あ、森野さん、おはよう」
「道路、ひどいねえ~ってあああ!成田くん!ズボンの裾が濡れちゃってるよ!」
「あ、ほんとだ。やだなあ~」
顔をしかめてみせる譲をみて、そんな顔もかっこいい!と沙織は瞳を輝かせるが、もちろん譲はそんなことには気付かない。そうこうしているうちに、沙織に負けない大声が近付いてきた。
「若者ども!備えが甘いなあ!」
見れば千秋が、ぴかぴかの長靴を自慢げにみせつけながらこちらに歩いてくる。
「やだ、千秋くん、それってちょっとイケてない」
「だっておれの大事なお靴ちゃんたちを汚す訳にゃあいかねーもん」
千秋は口を尖らせながらそう言うが、にしても似合わない。
「帰るときには溶けてるかもしれないのに」
譲が突っ込むと、
「あ、ちゃんとスニーカーも持参です」
と、いつもより膨らんだカバンを叩いて見せた。
「ねね、それより今日、こないだの抜き打ちテスト、返って来るよね!千秋くん、出来どうだった?」
「あ~俺?俺はその~、受けてねえっつーか、なんつーか」
「あれ?千秋くんあの日お休みだったっけ」
「う~ん、休みっつーかなんつーか」
「ほら、千秋って忘れっぽいから」
いつもの通り、他愛の無い会話を交わしながら校門をくぐる。
なんだか雪に気を取られてゆっくり歩きすぎたせいなのだろうか。教室に入ってすぐ始業のチャイムがなったもので、三人は慌てて席へと着いた。
ところが譲のひとつ前の席、仰木高耶の席は空のままだ。
「高耶は?」
すぐそばに座る矢崎へと声をかけると、
「まだきてねーよ。ま、いつものことだけど」
と、答えが返ってきた。
「雪のせいでバイクに乗れないから遅いんじゃないかな」
そう言いながら、既に何かあったのではないかと心配になってきている自分がいる。本当に苦労症だな、と苦々しく思いながら教科書を開いた。
けれど、譲のその心配は見事に的中してしまったのだ。
一時間目も終わりの頃になって。
「高耶!」
高耶はこめかみと口元に傷を作って登校してきた。手も指の付け根のあたりが赤く腫れている。明らかにケンカで出来た傷だ。
「大丈夫?」
小声で問いかけながら、また素行を注意するだのなんだの理由をつけて教師に呼び出しをくらうのではないかと心配する譲をよそに、教壇に立っていた気の弱い教師はちょっと注意しただけで済ませてしまった。
それどころか終業のチャイムが鳴ると同時に、トラブルはごめんだというように慌てて教室を出て行く。
それはそれでふがいない、と思う譲だ。
「よっ、大将!おっとこまえっ」
教師が出て行くなり、すぐに千秋が茶化しにやってくる。
「うられたもん、かわねーわけにはいかねーだろ」
高耶は若干、ふてくされているようだ。
「んで、勝ったんだろうな」
「当たり前」
「もう!ケンカはしないって約束だろ!」
全然反省の色の見えない高耶に、譲は本気で怒りたくなった。
「しょーがねーだろ。こっちはそーゆーことから卒業したつもりでいても、いちゃもんつけてくる奴らがいんだから。怒るんならそいつらを怒ってくれ」
そう言うと、ぷいと横を向いてしまう。
「何かやなこと言われたの?」
「……んなんじゃねーよ」
「傷は大丈夫?保健室行く?」
「いーよ。舐めときゃなおる」
世話を焼く譲を見て、千秋は腕組みしながらニヤついている。
「ほんっと、直江といい勝負だよな」
それを聞いて、何故か高耶が千秋を睨んだ。
「どーゆー意味だよ」
「直江も成田も、クソガキを甘やかしすぎだってこと」
「は?」
千秋の一言で高耶はますますへそをまげてしまったようだ。
「オレはクソガキでも甘やかされてもねーよ」
結局そのままずっと、高耶の機嫌が直ることはなかった。
日付だけで言えば例年通りなのだが、近隣の地域に比べ積雪量の少ない松本にはめずらしく、朝方まで降り続けた雪が十数センチ降り積もり、朝の日差しのせいで登校路は最悪の状況になっていた。
「ぎゃあ~コケるうう~!!」
「ちょっとぉ、サイアクぅ!!」
雪が溶けたものと溶けきらないものとさらに轍の泥まで混ざって、異様に滑りやすくなっている。
もちろん、凍りついてしまうよりは随分マシだが。
「なりたく~うん!」
森野沙織の大きな声が聞こえてきて、譲は背後を振り返った。
「あ、森野さん、おはよう」
「道路、ひどいねえ~ってあああ!成田くん!ズボンの裾が濡れちゃってるよ!」
「あ、ほんとだ。やだなあ~」
顔をしかめてみせる譲をみて、そんな顔もかっこいい!と沙織は瞳を輝かせるが、もちろん譲はそんなことには気付かない。そうこうしているうちに、沙織に負けない大声が近付いてきた。
「若者ども!備えが甘いなあ!」
見れば千秋が、ぴかぴかの長靴を自慢げにみせつけながらこちらに歩いてくる。
「やだ、千秋くん、それってちょっとイケてない」
「だっておれの大事なお靴ちゃんたちを汚す訳にゃあいかねーもん」
千秋は口を尖らせながらそう言うが、にしても似合わない。
「帰るときには溶けてるかもしれないのに」
譲が突っ込むと、
「あ、ちゃんとスニーカーも持参です」
と、いつもより膨らんだカバンを叩いて見せた。
「ねね、それより今日、こないだの抜き打ちテスト、返って来るよね!千秋くん、出来どうだった?」
「あ~俺?俺はその~、受けてねえっつーか、なんつーか」
「あれ?千秋くんあの日お休みだったっけ」
「う~ん、休みっつーかなんつーか」
「ほら、千秋って忘れっぽいから」
いつもの通り、他愛の無い会話を交わしながら校門をくぐる。
なんだか雪に気を取られてゆっくり歩きすぎたせいなのだろうか。教室に入ってすぐ始業のチャイムがなったもので、三人は慌てて席へと着いた。
ところが譲のひとつ前の席、仰木高耶の席は空のままだ。
「高耶は?」
すぐそばに座る矢崎へと声をかけると、
「まだきてねーよ。ま、いつものことだけど」
と、答えが返ってきた。
「雪のせいでバイクに乗れないから遅いんじゃないかな」
そう言いながら、既に何かあったのではないかと心配になってきている自分がいる。本当に苦労症だな、と苦々しく思いながら教科書を開いた。
けれど、譲のその心配は見事に的中してしまったのだ。
一時間目も終わりの頃になって。
「高耶!」
高耶はこめかみと口元に傷を作って登校してきた。手も指の付け根のあたりが赤く腫れている。明らかにケンカで出来た傷だ。
「大丈夫?」
小声で問いかけながら、また素行を注意するだのなんだの理由をつけて教師に呼び出しをくらうのではないかと心配する譲をよそに、教壇に立っていた気の弱い教師はちょっと注意しただけで済ませてしまった。
それどころか終業のチャイムが鳴ると同時に、トラブルはごめんだというように慌てて教室を出て行く。
それはそれでふがいない、と思う譲だ。
「よっ、大将!おっとこまえっ」
教師が出て行くなり、すぐに千秋が茶化しにやってくる。
「うられたもん、かわねーわけにはいかねーだろ」
高耶は若干、ふてくされているようだ。
「んで、勝ったんだろうな」
「当たり前」
「もう!ケンカはしないって約束だろ!」
全然反省の色の見えない高耶に、譲は本気で怒りたくなった。
「しょーがねーだろ。こっちはそーゆーことから卒業したつもりでいても、いちゃもんつけてくる奴らがいんだから。怒るんならそいつらを怒ってくれ」
そう言うと、ぷいと横を向いてしまう。
「何かやなこと言われたの?」
「……んなんじゃねーよ」
「傷は大丈夫?保健室行く?」
「いーよ。舐めときゃなおる」
世話を焼く譲を見て、千秋は腕組みしながらニヤついている。
「ほんっと、直江といい勝負だよな」
それを聞いて、何故か高耶が千秋を睨んだ。
「どーゆー意味だよ」
「直江も成田も、クソガキを甘やかしすぎだってこと」
「は?」
千秋の一言で高耶はますますへそをまげてしまったようだ。
「オレはクソガキでも甘やかされてもねーよ」
結局そのままずっと、高耶の機嫌が直ることはなかった。
6時限目が始まっても高耶は不貞寝を決め込んでいる。
そして、事件は起きてしまった。
出席を取り始めた教師が、高耶のその態度にキレたのだ。
以前から高耶とは折り合いの悪かった教師だ。
「仰木。………仰木!返事くらいしないか!」
まずは寝ている高耶の頭頂部に、いきなり出席簿を叩きつけた。
「……ぁあ?」
殴られて起こされた高耶はますます機嫌が悪い。
「呼ばれたら返事をするなんて、猿でも出来るぞ、猿でも!」
そう言って怒鳴りつけた教師は、顔を上げた高耶のケンカ傷に気付いたらしい。
「なんだ、その傷は。揉め事でも起こしたんじゃないだろうな!」
高耶はくだらない、とばかりに顔を背けてしまった。無視を決め込むつもりのようだ。
そこへ教師が信じられない一言を放った。
「ああ、アル中の父親に殴られでもしたか」
「なっ!!!」
あまりにひどいと譲が抗議する前に、猛然と高耶が立ち上がった。勢いで椅子が横に転がる。
拳を握り、ものすごい勢いで睨みつけてくる高耶に、教師は若干ひるみつつ、それでもまだ口を閉じない。
「な、なんだ、殴るのかっ。やっぱり、カエルの子はカエルだなっ」
「……………」
憎憎しげに教師を睨んでいた高耶は、そのまま何も言わずに教室の出口へと歩き出した。
「高耶っ」
立ち上がって後を追おうとした譲はその場で立ち止まる。
高耶の背中が後を追われることを拒絶していた。こういう時の高耶は何を言っても駄目だと譲は知っている。
(高耶………)
唇を噛む譲の耳に、ひどすぎるよ、と小さな声が聞こえてきた。見れば沙織が首を振りながら呟いている。千秋も、矢崎も、皆苦虫を噛み潰したような顔だ。
「ったく。どうしようもないな、仰木は。成田、座りなさい。授業を始めるぞ」
そう言いながら教壇へ戻っていく教師は、生徒全員から注がれる軽蔑の視線に気付くことはない。
譲は、高耶の握った拳の白さが、いつまで経っても頭から離れなかった。
くだらないくだらないくだらない……
高耶は心の中で呪文のようにその言葉を唱えていた。
怒りと悲しみと諦めとが波となって、交互に押し寄せてくる。
その波を静めるように。
くだらないくだらないくだらない……
高耶はいつも通りに朝起きて、いつも通りに家を出ただけだったのだ。
ああ、バイクが使えなくてだりぃ、とか、でも今日はバイトがない日で逆にラッキーだったか?、とか、そんなことを考えながら、歩いていたのだ。
それなのに。
家を出て少しも経たない内に、3人の他校生が自分を囲んできた。
明らかに高耶の家を調べてやってきたそいつらは、何故か美弥の名前を出してきて、美弥の学校もクラスも知っているからいつでも手をだせるのだ、というようなことをいいだした。それで、思わずキレてしまったのだ。
別にケンカが好きな訳じゃない。父親に殴られていた時期もあった高耶だ。昔はそれでもスカッとする、とか思っていたものだが、最近《調伏》活動をするようになって、暴力の非情さを思い知った。出来れば争い事など避けて通りたい。
けれど、世間はそうさせてくれないのだ。
自分の思うようには、自分を見てくれない。
自分の考えるようには、物事を捉えてくれない。
そう言う人間は、自分の言葉を言葉どおりにすら受け取ってくれない。
そして、事件は起きてしまった。
出席を取り始めた教師が、高耶のその態度にキレたのだ。
以前から高耶とは折り合いの悪かった教師だ。
「仰木。………仰木!返事くらいしないか!」
まずは寝ている高耶の頭頂部に、いきなり出席簿を叩きつけた。
「……ぁあ?」
殴られて起こされた高耶はますます機嫌が悪い。
「呼ばれたら返事をするなんて、猿でも出来るぞ、猿でも!」
そう言って怒鳴りつけた教師は、顔を上げた高耶のケンカ傷に気付いたらしい。
「なんだ、その傷は。揉め事でも起こしたんじゃないだろうな!」
高耶はくだらない、とばかりに顔を背けてしまった。無視を決め込むつもりのようだ。
そこへ教師が信じられない一言を放った。
「ああ、アル中の父親に殴られでもしたか」
「なっ!!!」
あまりにひどいと譲が抗議する前に、猛然と高耶が立ち上がった。勢いで椅子が横に転がる。
拳を握り、ものすごい勢いで睨みつけてくる高耶に、教師は若干ひるみつつ、それでもまだ口を閉じない。
「な、なんだ、殴るのかっ。やっぱり、カエルの子はカエルだなっ」
「……………」
憎憎しげに教師を睨んでいた高耶は、そのまま何も言わずに教室の出口へと歩き出した。
「高耶っ」
立ち上がって後を追おうとした譲はその場で立ち止まる。
高耶の背中が後を追われることを拒絶していた。こういう時の高耶は何を言っても駄目だと譲は知っている。
(高耶………)
唇を噛む譲の耳に、ひどすぎるよ、と小さな声が聞こえてきた。見れば沙織が首を振りながら呟いている。千秋も、矢崎も、皆苦虫を噛み潰したような顔だ。
「ったく。どうしようもないな、仰木は。成田、座りなさい。授業を始めるぞ」
そう言いながら教壇へ戻っていく教師は、生徒全員から注がれる軽蔑の視線に気付くことはない。
譲は、高耶の握った拳の白さが、いつまで経っても頭から離れなかった。
くだらないくだらないくだらない……
高耶は心の中で呪文のようにその言葉を唱えていた。
怒りと悲しみと諦めとが波となって、交互に押し寄せてくる。
その波を静めるように。
くだらないくだらないくだらない……
高耶はいつも通りに朝起きて、いつも通りに家を出ただけだったのだ。
ああ、バイクが使えなくてだりぃ、とか、でも今日はバイトがない日で逆にラッキーだったか?、とか、そんなことを考えながら、歩いていたのだ。
それなのに。
家を出て少しも経たない内に、3人の他校生が自分を囲んできた。
明らかに高耶の家を調べてやってきたそいつらは、何故か美弥の名前を出してきて、美弥の学校もクラスも知っているからいつでも手をだせるのだ、というようなことをいいだした。それで、思わずキレてしまったのだ。
別にケンカが好きな訳じゃない。父親に殴られていた時期もあった高耶だ。昔はそれでもスカッとする、とか思っていたものだが、最近《調伏》活動をするようになって、暴力の非情さを思い知った。出来れば争い事など避けて通りたい。
けれど、世間はそうさせてくれないのだ。
自分の思うようには、自分を見てくれない。
自分の考えるようには、物事を捉えてくれない。
そう言う人間は、自分の言葉を言葉どおりにすら受け取ってくれない。
(くそっ……)
ただでさえイラついていたというのに、しまいにはあの教師だ。
たぶん世の中にはどうしようもない人間ばかりで、思いやりを持つ人間なんていうのは奇跡に近いのではないだろうか。
自分のモノサシでしか人を見ることが出来ない人間たち。そのモノサシがどれだけ歪んでいて非常識なものなのか、振り返ることもしない。
それとも、自分が間違っているのだろうか。
人のことなど考えずに、自分のことだけを考えて生きることが正解なのだろうか。
オレも自分のモノサシを、他人に押し付けているだけなのだろうか。
(寒い……)
冷たい風が吹き抜けていく。
上着を教室に置いてきたせいだけでなく、心が酷く寒かった。
「───こらっ」
不意に背後から聞こえてきた声に、反射的にびくっと身体を揺らす。ただ歩道を歩いていただけで、別に悪いことをしているわけではないのに。習慣とは恐ろしいものだ。
恐る恐る振り返って、そこにあったのは、
「直江……。なにやってんだよこんなとこで」
思わずぽかんとする高耶を見下ろす、よく見慣れた顔だった。
「あなたこそまだ授業の時間でしょう?サボタージュですか」
「……いいだろ、別に」
驚きで一瞬消えていた感情を、また思い出してしまう。
俯いてしまう高耶の顔を覗き込むようにして、直江が首をかしげた。
「怪我、してますね」
直江が自分の口のところを指差す。
「こんなの怪我のうちにはいんねーよ」
高耶は口元をゴシゴシと擦る。
「舐めてあげましょうか?」
直江はいたずらっ子のような瞳で言った。
不意に高耶の脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。紙で切った自分の指を、舐めてくれた母親の姿。
「………お前はオレの親父かよ」
へそを曲げたように言ったら、
「それはちょっと、傷つきますよ」
いくら年の差があるとはいえ、さすがの直江も父親扱いされる歳ではない。
見るからにしょげる直江をみて、高耶は思わず吹き出した。
高耶に笑顔が戻って安心したのだろうか。
直江も笑みを浮かべて言う。
「あなたを迎えに来たんです。早めに来て正解でしたね、入れ違うところでした」
いきましょう、と車へと促されて気付く。
直江の愛車は、随分と離れた場所に停められていた。
あそこで待っていたはずの直江は、自分の姿を見つけてずっと後を追ってきていたのだろうか。
普通じゃない様子の高耶に、なんて声を掛けるべきか、悩みながら?
「……………」
気を、使わせてしまったのかもしれない。
もうすっかり慣れたウィンダムの助手席に乗り込むと、車内はとても暖かかった。
隣に座る直江を見ながら、高耶は思う。
直江が傍らにいることは、日常よりも身体に馴染む、と。
ただでさえイラついていたというのに、しまいにはあの教師だ。
たぶん世の中にはどうしようもない人間ばかりで、思いやりを持つ人間なんていうのは奇跡に近いのではないだろうか。
自分のモノサシでしか人を見ることが出来ない人間たち。そのモノサシがどれだけ歪んでいて非常識なものなのか、振り返ることもしない。
それとも、自分が間違っているのだろうか。
人のことなど考えずに、自分のことだけを考えて生きることが正解なのだろうか。
オレも自分のモノサシを、他人に押し付けているだけなのだろうか。
(寒い……)
冷たい風が吹き抜けていく。
上着を教室に置いてきたせいだけでなく、心が酷く寒かった。
「───こらっ」
不意に背後から聞こえてきた声に、反射的にびくっと身体を揺らす。ただ歩道を歩いていただけで、別に悪いことをしているわけではないのに。習慣とは恐ろしいものだ。
恐る恐る振り返って、そこにあったのは、
「直江……。なにやってんだよこんなとこで」
思わずぽかんとする高耶を見下ろす、よく見慣れた顔だった。
「あなたこそまだ授業の時間でしょう?サボタージュですか」
「……いいだろ、別に」
驚きで一瞬消えていた感情を、また思い出してしまう。
俯いてしまう高耶の顔を覗き込むようにして、直江が首をかしげた。
「怪我、してますね」
直江が自分の口のところを指差す。
「こんなの怪我のうちにはいんねーよ」
高耶は口元をゴシゴシと擦る。
「舐めてあげましょうか?」
直江はいたずらっ子のような瞳で言った。
不意に高耶の脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。紙で切った自分の指を、舐めてくれた母親の姿。
「………お前はオレの親父かよ」
へそを曲げたように言ったら、
「それはちょっと、傷つきますよ」
いくら年の差があるとはいえ、さすがの直江も父親扱いされる歳ではない。
見るからにしょげる直江をみて、高耶は思わず吹き出した。
高耶に笑顔が戻って安心したのだろうか。
直江も笑みを浮かべて言う。
「あなたを迎えに来たんです。早めに来て正解でしたね、入れ違うところでした」
いきましょう、と車へと促されて気付く。
直江の愛車は、随分と離れた場所に停められていた。
あそこで待っていたはずの直江は、自分の姿を見つけてずっと後を追ってきていたのだろうか。
普通じゃない様子の高耶に、なんて声を掛けるべきか、悩みながら?
「……………」
気を、使わせてしまったのかもしれない。
もうすっかり慣れたウィンダムの助手席に乗り込むと、車内はとても暖かかった。
隣に座る直江を見ながら、高耶は思う。
直江が傍らにいることは、日常よりも身体に馴染む、と。
青白かった高耶の顔色は、車内に入っていくらか血色が良くなった。
先程まで心にあったものは、忘れてしまったのか、うまく折り合いつけられたのか、すっかり元の調子を取り戻したようだ。
怪我のいきさつをなんとなく聞かされて、直江は高耶がここらあたりでは本当に伝説的な存在になっているのだな、と改めて思った。
それも当然だと思う。
景虎とはいつ、どこにいたってそうなのだ。憎たらしいくらいに彼らしい。
「なあ、どこ向かってんだ」
思考が沈みかけていた直江は、高耶に問われて我に帰った。
「バイト、お休みなんでしょう?付き合って欲しいところがあるんです」
「いいけど。なんでバイトねえって知ってるんだよ」
「スタンドに寄ってきたからですよ」
ここに来る前、給油ついでに今日は高耶が出勤かどうかを尋ねてきたのだ。
「主任さん、出来の悪い"従兄弟"がお世話になっているからと差し入れをしたら、来週の予定まで教えてくれましたよ。ずいぶん長々と話し込んでしまいました」
お仕事の邪魔だったかもしれませんねぇ、と直江はうそぶく。
「主任のやつ……」
当たり前かもしれないが、車にもバイクにも詳しいバイト先の上司を、高耶は敬愛しているようだった。が、あのお喋り好きだけは頂けないらしい。まあ、その人懐っこさがあのGSの明るい雰囲気をつくり上げているのだが。
「そういえばスタンドに寄る前に、例の祠とパーキングエリアにも寄って来たんですよ」
「………ああ、あの?」
以前にあった交通事故絡みの事件で舞台となった場所のことだ。高耶はあれ以来、足を運ぶことはなかったが。
「ええ。雑木林の方は、あのあと急激に植物の勢いが衰えたとかで、随分と乾いた空気になっていましたよ。それから、サービスエリアの祠には例の白いアネモネが供えてありました」
「そっか………。仲良くやってんのかな」
「彼らなら、大丈夫でしょう」
「………ああ」
また、あの時のことを思い出して沈んでしまうかと思われた高耶だったが、意外にしっかりとしていて、すぐに話題を切り替えてきた。
「で、今日はどこいくわけ」
高耶も、精神的に随分成長したということだろうか。
「実は最近、松本空港で変わった霊象が目撃されていまして」
「ふんふん、空港ねぇ」
何かと理由をつけては松本へやってくる直江に最初はぎゃあぎゃあ言っていた高耶ももう何とも思ってないようだ。それはそれで多少寂しい。
「………そんで、終わったらどうする?夕めしは?食ってく?」
それどころか最近では付き合えばタダで飯を食わせてくれるお兄さん(?)扱いである。まあそれはそれでまた、多少嬉しい。
「今からだと夕飯を食べ終える頃にはかなり遅くなってしまいそうですね。美弥さんは大丈夫なんですか」
「今日は女友達とデートだとか言ってたから」
「そうですか。それでは……甲府の方で懇意にしている店のオーナーが、松本駅の近くに新たに出店したそうなので覗いてみましょうか」
「へぇ、何の店?」
「いわゆる鉄板焼きですね。肉から魚介、旬の野菜までなんでもありますよ」
「……いいね」
直江に向かってニヤリと笑ってみせる。こういうときの高耶は仕事が速い。夕飯食べたさに霊感も冴え渡り、あっという間に原因も判明するだろう。
先程まで心にあったものは、忘れてしまったのか、うまく折り合いつけられたのか、すっかり元の調子を取り戻したようだ。
怪我のいきさつをなんとなく聞かされて、直江は高耶がここらあたりでは本当に伝説的な存在になっているのだな、と改めて思った。
それも当然だと思う。
景虎とはいつ、どこにいたってそうなのだ。憎たらしいくらいに彼らしい。
「なあ、どこ向かってんだ」
思考が沈みかけていた直江は、高耶に問われて我に帰った。
「バイト、お休みなんでしょう?付き合って欲しいところがあるんです」
「いいけど。なんでバイトねえって知ってるんだよ」
「スタンドに寄ってきたからですよ」
ここに来る前、給油ついでに今日は高耶が出勤かどうかを尋ねてきたのだ。
「主任さん、出来の悪い"従兄弟"がお世話になっているからと差し入れをしたら、来週の予定まで教えてくれましたよ。ずいぶん長々と話し込んでしまいました」
お仕事の邪魔だったかもしれませんねぇ、と直江はうそぶく。
「主任のやつ……」
当たり前かもしれないが、車にもバイクにも詳しいバイト先の上司を、高耶は敬愛しているようだった。が、あのお喋り好きだけは頂けないらしい。まあ、その人懐っこさがあのGSの明るい雰囲気をつくり上げているのだが。
「そういえばスタンドに寄る前に、例の祠とパーキングエリアにも寄って来たんですよ」
「………ああ、あの?」
以前にあった交通事故絡みの事件で舞台となった場所のことだ。高耶はあれ以来、足を運ぶことはなかったが。
「ええ。雑木林の方は、あのあと急激に植物の勢いが衰えたとかで、随分と乾いた空気になっていましたよ。それから、サービスエリアの祠には例の白いアネモネが供えてありました」
「そっか………。仲良くやってんのかな」
「彼らなら、大丈夫でしょう」
「………ああ」
また、あの時のことを思い出して沈んでしまうかと思われた高耶だったが、意外にしっかりとしていて、すぐに話題を切り替えてきた。
「で、今日はどこいくわけ」
高耶も、精神的に随分成長したということだろうか。
「実は最近、松本空港で変わった霊象が目撃されていまして」
「ふんふん、空港ねぇ」
何かと理由をつけては松本へやってくる直江に最初はぎゃあぎゃあ言っていた高耶ももう何とも思ってないようだ。それはそれで多少寂しい。
「………そんで、終わったらどうする?夕めしは?食ってく?」
それどころか最近では付き合えばタダで飯を食わせてくれるお兄さん(?)扱いである。まあそれはそれでまた、多少嬉しい。
「今からだと夕飯を食べ終える頃にはかなり遅くなってしまいそうですね。美弥さんは大丈夫なんですか」
「今日は女友達とデートだとか言ってたから」
「そうですか。それでは……甲府の方で懇意にしている店のオーナーが、松本駅の近くに新たに出店したそうなので覗いてみましょうか」
「へぇ、何の店?」
「いわゆる鉄板焼きですね。肉から魚介、旬の野菜までなんでもありますよ」
「……いいね」
直江に向かってニヤリと笑ってみせる。こういうときの高耶は仕事が速い。夕飯食べたさに霊感も冴え渡り、あっという間に原因も判明するだろう。
しろがね つばさ
白銀の翼