しろがね つばさ
白銀の翼
『今日は、福岡の友達のところへいく』
最初から老人は、今からどこへ行くだとか、どんな友人に会うのだとか、そういった話しかしなかった。
話しかけた高耶が何を訊いても、自分の話したいことしか話さないのだ。
『一度も結婚はしなかったけど、今は弟夫婦と、とても立派な家に住んでいるんだ』
その友人の話を、自分のことのように嬉しそうに話している。
その表情やしぐさからは、本に込められていたような、じくじくと湿った感情はまるで感じない。
とても明るいものだった。
『会うのはものすごく久しぶりなんだ』
先程直江が話をした息子のほうの西村によると、西村老人は全国各地を飛び回っているのだという。それだけいろんな場所に友人がいるというのも、少しうらやましい話だ。
『そろそろ出発時間だ』
どこか息子に似た笑顔で、西村老人はそう言った。
今から松本空港の福岡便に乗るのだという。
直江が知る限りでは、もう福岡への便は無いはずだ。
ということは。
「どんな飛行機で行くんだ?」
高耶も幽霊飛行機の出番だということに気付いたようだ。
『白いやつだ。真っ白なやつ』
老人の顔が何故か自慢げに輝いた。
「いや、色じゃなくて……」
説明しかけた高耶は、結局口をつぐんでしまった。
老人を見つめていると、わくわくしている気持ちがこちらまで伝わってくるようだ。
きっとそれが高耶にも伝染したに違いない。
『間に合わなくなる、急がないと』
そう言っていなくなってしまった老人の、出立を見届けたいと言い出した。
「空港まで行こうぜ。せっかくだから」
明らかに期待に満ちた顔で、高耶は直江にそう言ってきた。
空港に付いた頃には、もう陽が半分落ちかけている。
展望デッキにあがってみて、直江は息をのんだ。
「すげえ……」
高耶も興奮気味に呟く。
老人が自慢気になるのもわかるような気がした
まるで雪でできたような真っ白な機体は、見たことも無いくらい大きなもので、流線型の滑らかな形をしている。その近未来的な巨大飛行機は、うっすらと透き通っていて、まだわずかに残っている雪が、夕ざしを反射してきらきらと輝いているのが機体越しに見通せた。それはまるで、機体が自体が光っているようにもみえる。
「見物客呼んで、金とれるんじゃねーの」
フェンスに手をかけて身を乗り出した高耶は楽しそうにそう言った。
「誰もがみられる訳ではないですから」
もちろん霊力のある人間でないと見られない。直江が窘めていると、程なくして機体が動き出した。
半透明のせいか、見ている限りではあまり重さを感じさせないが、それでもゆっくりじっくりと時間をかけて滑走路の端に移動した機体は、何かの合図を得たかのように、突然走り始めた。
とたんに、
「ぎゃああ!すげー音!」
通常の何十倍もの離陸音があたりに響き始めて、慌てて耳を塞いだ。
「西村老人の作り上げた霊障ですから、彼にとっての飛行機の印象というのがこういうものだったのでしょうね!」
「はあ!?なんかいったか!?」
スペースシャトルの打ち上げでもここまでうるさくはないのではないか、というくらいの轟音が続き、しばらくは会話にならなかった。やがて飛び立って空のかなたに機体が消えた後も、耳がキンキンと鳴って痛かった。
「確かにこれを深夜にやられたらつらいかもしれませんね」
霊力に違いがあるとはいえ、あの売店の女性も相当ストレスを感じていたに違いない。
高耶はまだ耳に違和感を覚えるのか、頭を振りながら飛行機の消え去った方角をみていた。
「あれって、本当に博多にいくのか?」
「どうでしょう。もしそうだとしたら、全国の着陸先で話題になっているかもしれませんね。軒猿への調査事項に入れておきましょうか」
怨将動向の報告書の中に、西村老人の動向が混ざって届いたら楽しいかもしれない。
「帰ってくるところもみてみてーな」
高耶は無邪気にそう言った。
「調伏、しなくていいんですか?」
「したくない。気が済んだら、成仏するだろ」
「そうですが」
「けど、あの世で死んだ仲間と再会しちまったら、どうするんだろうな……」
高耶はしんみりと言った。
直江の中に"あの世"といった感覚はないが、高耶はその想像を膨らませているようだ。
「例えばさ、絶対に日本が勝つって思って死んでった人とかにさ、責められたりしたらつらいよな」
「………そうですね」
答えながら、直江は嫌悪感で胸がいっぱいになった。
敗者が他人を責めるなど見苦しい。
死んだことも敗けたことも自分の行動の結果であり、責任なのだと直江は思う。
どんな結果であれ、そうなった原因は全て自分自身の中にあるはずだ。
「まあでも、勝ち負けって結果論だろ」
高耶が直江を振り返って言う。
「戦争だと、ちょっと違うかもしんねーけど。例えば、陸上選手が走る前から自分の順位を恐がって逃げ出すわけにはいかないしな。きっと最後まで走り続けるしかない。結果がどうであれ、勝負から逃げださずに走ったことに、意味があるって思いたいよな」
直江は黙って頷いた。
最後まで、走り続ける。最期まで。
そのとき、自分と高耶の間にどんな結果がでるのだろうか。
なんにしても逃げるつもりはない。
そして敗けるつもりもない。
自分の勝利でレースを終える、その時まで。
ひたすら走り続けるしかないのだ。
「直江」
「……… はい?」
「腹減った」
高耶の素直な物言いに思わず笑みが浮かんで、直江は暗い考えからしっかりと頭を切り替えることができた。
「すっかり遅くなってしまいましたね。どこかこの近くで食事にしましょうか」
「冗談、鉄板焼きが待ってんだろ。戻んぞ!」
本日一番の気合のこもった声を出して、高耶は風をきって歩き始めた。
最初から老人は、今からどこへ行くだとか、どんな友人に会うのだとか、そういった話しかしなかった。
話しかけた高耶が何を訊いても、自分の話したいことしか話さないのだ。
『一度も結婚はしなかったけど、今は弟夫婦と、とても立派な家に住んでいるんだ』
その友人の話を、自分のことのように嬉しそうに話している。
その表情やしぐさからは、本に込められていたような、じくじくと湿った感情はまるで感じない。
とても明るいものだった。
『会うのはものすごく久しぶりなんだ』
先程直江が話をした息子のほうの西村によると、西村老人は全国各地を飛び回っているのだという。それだけいろんな場所に友人がいるというのも、少しうらやましい話だ。
『そろそろ出発時間だ』
どこか息子に似た笑顔で、西村老人はそう言った。
今から松本空港の福岡便に乗るのだという。
直江が知る限りでは、もう福岡への便は無いはずだ。
ということは。
「どんな飛行機で行くんだ?」
高耶も幽霊飛行機の出番だということに気付いたようだ。
『白いやつだ。真っ白なやつ』
老人の顔が何故か自慢げに輝いた。
「いや、色じゃなくて……」
説明しかけた高耶は、結局口をつぐんでしまった。
老人を見つめていると、わくわくしている気持ちがこちらまで伝わってくるようだ。
きっとそれが高耶にも伝染したに違いない。
『間に合わなくなる、急がないと』
そう言っていなくなってしまった老人の、出立を見届けたいと言い出した。
「空港まで行こうぜ。せっかくだから」
明らかに期待に満ちた顔で、高耶は直江にそう言ってきた。
空港に付いた頃には、もう陽が半分落ちかけている。
展望デッキにあがってみて、直江は息をのんだ。
「すげえ……」
高耶も興奮気味に呟く。
老人が自慢気になるのもわかるような気がした
まるで雪でできたような真っ白な機体は、見たことも無いくらい大きなもので、流線型の滑らかな形をしている。その近未来的な巨大飛行機は、うっすらと透き通っていて、まだわずかに残っている雪が、夕ざしを反射してきらきらと輝いているのが機体越しに見通せた。それはまるで、機体が自体が光っているようにもみえる。
「見物客呼んで、金とれるんじゃねーの」
フェンスに手をかけて身を乗り出した高耶は楽しそうにそう言った。
「誰もがみられる訳ではないですから」
もちろん霊力のある人間でないと見られない。直江が窘めていると、程なくして機体が動き出した。
半透明のせいか、見ている限りではあまり重さを感じさせないが、それでもゆっくりじっくりと時間をかけて滑走路の端に移動した機体は、何かの合図を得たかのように、突然走り始めた。
とたんに、
「ぎゃああ!すげー音!」
通常の何十倍もの離陸音があたりに響き始めて、慌てて耳を塞いだ。
「西村老人の作り上げた霊障ですから、彼にとっての飛行機の印象というのがこういうものだったのでしょうね!」
「はあ!?なんかいったか!?」
スペースシャトルの打ち上げでもここまでうるさくはないのではないか、というくらいの轟音が続き、しばらくは会話にならなかった。やがて飛び立って空のかなたに機体が消えた後も、耳がキンキンと鳴って痛かった。
「確かにこれを深夜にやられたらつらいかもしれませんね」
霊力に違いがあるとはいえ、あの売店の女性も相当ストレスを感じていたに違いない。
高耶はまだ耳に違和感を覚えるのか、頭を振りながら飛行機の消え去った方角をみていた。
「あれって、本当に博多にいくのか?」
「どうでしょう。もしそうだとしたら、全国の着陸先で話題になっているかもしれませんね。軒猿への調査事項に入れておきましょうか」
怨将動向の報告書の中に、西村老人の動向が混ざって届いたら楽しいかもしれない。
「帰ってくるところもみてみてーな」
高耶は無邪気にそう言った。
「調伏、しなくていいんですか?」
「したくない。気が済んだら、成仏するだろ」
「そうですが」
「けど、あの世で死んだ仲間と再会しちまったら、どうするんだろうな……」
高耶はしんみりと言った。
直江の中に"あの世"といった感覚はないが、高耶はその想像を膨らませているようだ。
「例えばさ、絶対に日本が勝つって思って死んでった人とかにさ、責められたりしたらつらいよな」
「………そうですね」
答えながら、直江は嫌悪感で胸がいっぱいになった。
敗者が他人を責めるなど見苦しい。
死んだことも敗けたことも自分の行動の結果であり、責任なのだと直江は思う。
どんな結果であれ、そうなった原因は全て自分自身の中にあるはずだ。
「まあでも、勝ち負けって結果論だろ」
高耶が直江を振り返って言う。
「戦争だと、ちょっと違うかもしんねーけど。例えば、陸上選手が走る前から自分の順位を恐がって逃げ出すわけにはいかないしな。きっと最後まで走り続けるしかない。結果がどうであれ、勝負から逃げださずに走ったことに、意味があるって思いたいよな」
直江は黙って頷いた。
最後まで、走り続ける。最期まで。
そのとき、自分と高耶の間にどんな結果がでるのだろうか。
なんにしても逃げるつもりはない。
そして敗けるつもりもない。
自分の勝利でレースを終える、その時まで。
ひたすら走り続けるしかないのだ。
「直江」
「……… はい?」
「腹減った」
高耶の素直な物言いに思わず笑みが浮かんで、直江は暗い考えからしっかりと頭を切り替えることができた。
「すっかり遅くなってしまいましたね。どこかこの近くで食事にしましょうか」
「冗談、鉄板焼きが待ってんだろ。戻んぞ!」
本日一番の気合のこもった声を出して、高耶は風をきって歩き始めた。
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しろがね つばさ
白銀の翼